さらに新しい日記

さらに新しく作られた日記

ノンフィクション

ピアノの発表会で間違える夢を見る。裸になっているがしかし誰にも気付かれない夢を見る。 寝ていると背中を叩かれるような気がして目が覚める。夢も現実も居心地の悪さという点では大差がない。

自分は恥ずべき存在であるというセルフイメージと、世界の中で自分だけがガラスの箱の中にいて外には声が届かないような感覚が両立している。

「娘にお土産を持って帰ろうと思って」という人がいて、私は父がクリスマスプレゼントに買ってきた64を母が怒って返品させたときのことを思い出す。ありきたりの日常風景からそんなことを思い出して勝手にボロボロになってばかりの自分が憎い。

うちにはお金がないから、欲しい物は手に入らない。周りの子が楽しんでいる漫画やゲームは私には求める資格がないのだが、現世で辻褄を合わせるためにそんなものには興味がないということにしている。それより勉強をがんばって良い大学に入って正社員にならないといけない。楽しいことは全部取り上げられる。私の記憶は罵声と暴力で全部上塗りされている。当人は悪いことをしたとは思っていないらしいし、私がネガティブに捉えすぎている可能性もあるらしい。これも全部私の妄想で捏造された記憶なのかもしれない。あぁ〜ほんとうにそうだったらいいのにな。

生きていても何もいいことがない。「そんなことないよ、それは捻くれているだけだね。生きていればいいことの1つや2つはあるよね。」そうだから私の傷付いた記憶に寄り添ってくれる人はいないんだね。ハスキー犬を連れた大人の私が迎えに行ってあげないといけないね。今出先なのに涙が止まらなくて困っている。ただ確かなのは、今涙を流しているこの人物は私のことでいくらでも泣いてくれるらしいということだ。私はこの人のことを大事にしてやりたいと思い、IKEAでハスキー犬のぬいぐるみを買ってプレゼントした。

税理士になりたい

やりたいことはいっぱいあるけど時間がないんだよね、とか言いながら、いざ時間が空いたらそれをやるかというとやらなかったりする。私の「やりたいこと」に対する誠実さなんてその程度で、今日も予定が空いたのに今はお菓子をお腹いっぱい食べて気持ち悪くなっている。私の人付き合いに対する誠実さもそのまんまで、誠実でありたいと思いながら私は友達を善意を被って操作しようとして傷付ける。痩せたいといいながらお菓子を食べる、そんなノリだ。私に自由意志なんてものはなく、ただその場その場で脊椎反射で応答するだけの傀儡だ。私個人が人に影響を与えることなんて一生かかっても何もないと思いながら、人を傷付ける。どうせ忘れられるから、そんなこと気にしても仕方がないと思えと司令される。脳みそのおもちゃの私に人間性などはない。そんな私がやりたいことをやったところで、なーんにもならない。全部結果は一緒、死。あーあ、たくさん友達が欲しいから税理士になりたいなぁ。

ウィッチハウス時満ちて

チープなシンセの和音、ディレイのかかったクラップ、叫んでいるか囁いているかの両極端なフィメールボーカル、アートワークは十字架、三角形、鏡面配置、そして紫、黒。ウィッチハウスとは私が2012〜2013年に最も傾倒していた音楽ジャンルである。その潮流にはチルウェイブのシンセを基調としたリヴァーブ強めの浮遊感あるメロディ、そして2010年代前半のポスト・ダブステップムーブメントの最中に生まれたジャンルらしく808などのサウス・ヒップホップ文脈に近いサンプリングを用いた横ノリのリズムがあり、そこに耽美なゴシックテイストとオカルティズムを纏わせたものだ。

シーンは主にインターネットの SoundCloud, Bandcamp, そして Tumblr といった場所で展開された。そもそもチルウェイブがインターネット上で盛り上がったジャンルであることを考えると必然的ではあるが、現場感覚のない局所点在的で寛容なベッドルーム・ダンス・ミュージック上等な立ち位置は、クラウドラップのような当時インターネット上で最先端でクールなジャンルとも影響し合っていて、新しくて夢中になれる求めていた音楽そのものだった。

とはいえ、国内の現場でもウィッチハウスを擁するシーンはあった。当時チルウェイブを潮流に汲むサブジャンルは他にもヴェイパーウェイブやフューチャーファンク、シーパンクといったものが盛り上がり始めていたし、それら兄弟を含めた混沌としつつも新しいシーンがインターネットから現場へと染み出すように形成されていたのだ。しかし当時の私は触れるもの皆傷付けるカミソリのような人格をしていたので、そのシーンに近い人に対してはかなりの塩対応をしてむしろ避けていた。

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全盛期に熱中していた割にミックスも1本しか世に出さず、作ったトラックも発表しなかったのは、本当はそのポジションに入りたかったのに一人で悶々としていた、シーンに対しての妬み嫉みでしかなかった。

そういうわけでウィッチハウスには「私だったらこうするのに!」というアイデアが温存されたままやり損ね続けた結果縺れた関係性がある。2012年から10年経った今、ウィッチハウスという単語を耳にする機会が過去数年と比べて少し増えてきたように思う。これがリバイバルだろうか?と若干ソワソワしていたが、自分が普段ブッキングされるのはどちらかというとノイジーだったり骨太な実験を模索しているシーンで、ウィッチハウスのような軟弱で掴み所の無いダンスミュージックの片鱗は出すにも出せずウズウズするしか無かった。このまままた新しいウィッチハウス的シーンが勃興し始めても私は波に乗り損ねて悶々とするのだろうか、そう思っていた矢先「ウィッチハウスをお願いします」と今回の野菜のハロウィンにブッキングされたものである。野菜の面々とはこれまた10年来の付き合いがあり、彼女らも紆余曲折ありながら10年以上に渡ってハロウィンパーティを模索している、戦友のような関係だ。野菜のハロウィンといえばどストレートなハロウィン表現をしないことが特徴であるが、今年のテーマはティム・バートンとどストレートにハロウィンパーティをやるらしい。彼女らももしかしたら私と同じく一周回って、のストレートさなのかもしれない。そう思うとここは一肌脱いで私の積年の思い晴らさせて頂くしかないでしょう。プレイリストには持ち時間75分に対し7時間分のトラックがセットされており準備万端。あとは当日の流れ次第、満を持して訪れるこの機会を是非見守って頂ければと。

※なおゴスな音楽の話をしつつティム・バートンがテーマのパーティの告知をして画像まで貼っておいてあたかもシザーハンズの仮装をしそうな雰囲気を出してますが、仮装はビートルジュースです。なぜならシザーハンズのコスでは DJ が出来ないからです。

#808080

ぜってぇ逆張りしてやるとそろそろ素直になったほうがいいよがある 普通になりたいと普通じゃつまんないがある 安心したいと絶望したいがある わかってほしいとわからなくていいがある 自分最強と自分最弱がある 金さえあれば大体のことはなんとかなるし金を集めるのが一番大事と金でなんとか出来ることより出来ないことの方が大事がある 私のためになんかすることほど幸せなことないから利用されちゃえと自分のエゴのため如きに人を利用すべきでないがある 誰も助けてくれないから自分でなんとかすると自分じゃどうにもならないから誰か助けてがある 意味ないと意味ない意味があるがある はっきりさせたいとはっきりするのは怖いがある もう考えたくないと考えるのやめたらどうにもならんやろがある もう死にたいとここで死ぬわけにはがある ごめんねとありがとうがある 大好きともう好きでいたくないがある 誰か許してと誰かが許したからそれでなにがある

生きててもいいことがない2022

「生きてたらいいことあるよ」と言われる度に、その無責任さに腹が立ってしょうがない。政府が自助を第一選択として提示しやがるようなこのご時世で、「ただ」生きてても「いいこと」が起きるとは思えない。窮地に陥った人間に全てを放棄した楽観的な言葉でエールを贈った気になるな。

こんな状況だから他の人を頼りにするのは得策ではないと帰結し、「未来の自分に助けてもらう」ことをコンセプトに生存戦略を取ってきたが、どうやらこれが現状の最適解らしい。そもそも結果として自立することがこの社会に適応することであると思うと、それも織り込み済みでこの社会が形成されているように思えて発狂しそうにはなるが、それを置いても自分のケツは自分で拭く、拭けない範囲の粗相をやらかさない清貧性を持つことは他に不可逆的な影響を及ぼさないしリスクが少ない。「そんな私にも付き合ってn年になる理解のあるSomeoneが」現れても現れなくても関係なくて、自分自身が己の一番の理解者となり健全に自分を愛する術を学ぶことが至高の処世術である。10年前は自虐しかやることが無かった私がそんなことを言うようになったんだから人間には随分と変わる余地がある。今の私はこれで10年前の自分を救えただろうか?またはこの文章を公開することで「生きてても何もいいことがない」と今この瞬間にも思っている私のようなあなたを救うことが出来るだろうか?残念ながら私はこのやり方しか知らないから、これ以上に耳障りの良い言葉を提供することは出来ないし、あなたの人生に責任を持つことも出来ない。ただ生きててもいいことはないが、良くなるように生きるしかないとn=1の証明を続けるしかないのです。

LIL HAINO コスプレやめつつあるってよ

こんな名義でコスプレまでしてんだからネタキャラだと思われてもしょうがないのは承知の上ではありましたが、このまま表面的な部分をピックアップされるばかりでいいのかというと絶対嫌だなぁと。だからそれを表明していくために、トレードマーク的なコスプレをやめつつあります。 おそろいのサングラスをかけなくなり、みんなが気付かない程度にじわじわと髪の毛を短くしていっています(実は20cm以上切ってるのでちょっとくらい気付かれたい)

LIL HAINO の活動にはコンセプトがありまして、灰野さんの活動とは全く交わらないところで自分なりに音楽と真剣に向き合って、その軌跡がいずれは灰野さんと音楽の関係性のようなアティテュードに近付けばいいな、というようなものです。コスプレはさておき、灰野さんがやっていることをそのまま真似したり、彼の音源やアイデアを流用することは絶対しないと最初から決めています。交わらない活動の軌跡というコンセプトもあるので、ご本人との対バンもコラボも絶対したくないです。

コンセプトを公表することは初めてではないものの、名義からは想像しにくいものだと思いますし、コンセプト云々より色んなネタの想像を掻き立てる余地があるのも、しゃーなしとは理解しています。自分としては灰野さんのアイコニックなお姿をコスプレとして真似するのは楽しかったし、その格好のおかげでいくらか認知してもらいやすいというメリットもありました。でもそれに頼って得られたのが現状の認知のされ方なのであれば失策だったのかな。ぼくの活動を見たことのない人らに名義と容姿から想像される各々の「LIL HAINO像」を語られる度に、逐一コンセプトを説明して会話の骨を折るのも申し訳ないし、そもそも紛らわしいことをやめたほうがいいんだろうな、と思うようになりました。

まあそういうわけで、多分私はあなたが思っているような LIL HAINO ではないかもしれません。灰野さんとの対バン予定もないですし。でもそれぞれが思う LIL HAINO 像をお聞かせいただくのは基本的には問題ないです。自分が実際にやるかどうかの判断は別なので。ただ、たまにある「灰野さんと付き合いたいんでしょ?」とか「灰野さんと子供作ったほうがいいよ」とかそういうセクハラ発言はマジで全く望んでないので気を付けていただきたいです。もしかしたら発言者は「その名義でやるならそれも冗談として受け止めろよ……」って思ってるかもしれないですが、冗談でも言っちゃいけないことだと思います……そもそも、私は灰野さんを恋愛対象として見ていません。大事なことなので2回言います。灰野さんを恋愛対象として見ていません!!!

もちろん、表面的な部分だけピックアップされがちなのは活動内容に説得力がないからなんだろうなという反省もしています。そんなんで灰野の名を冠するなと言われたら、ご尤もです大変申し訳ありませんとしか言いようがありません。これから巻き返します。でも似たようなこと3年くらい前から言ってんだよな……まあ、つまり、コンスタントに頑張っています。なんにせよ私も音楽が好きなのは本当にそうなので、楽器とか出来なくてもなんとか音楽に関わり続けたいっていう気持ちを昇華したいのです。LIL HAINO 名義に関してはちょっと色々思うことがある近頃ですが、少なくとも DJ は続けていくつもりですし、気が向いたら曲作る方も再開したいと思ってます。サイコ風呂敷もそのうちあると思うし、毎月書いてる note も関わり方の一つだし、他にはアートワークとかで関わるのもいいなぁと思っています。ちまちま再開してたイラストを公開案件にするチャンス……。やっていくぞ!!!!!!!!!!

諦めは悪魔の誘惑

まず最初に、私は欲しいものがあったらどんな手段を使っても手に入れたいと思っている。でも本当に欲しいものは手に入らないのだ。その事実から回避するために、汎用的で価値のあるものを求めることにがむしゃらになろうとしている。そういうときの私のやり方といえば逆張りばかりだ。例えばお酒を飲まない理由だって、その場その場で適当な理屈を取って付けて交わしてきたけど、本当は親しい仲間とお酒を飲んでも楽しい時間を過ごせない自分の卑屈さをお酒及び飲みニケーションに荷担させて少しでも軽く見せようとしている。もっというと卑屈さの表れを楽しめないことの上にお酒を選ばないことに被せることによって、これは自分の選択だからと保険をかけて正当化している。じゃあお前は一体何をすれば楽しいのか、とはいえ楽しさを素直に享受できないから苦しんでいる。生きててもいいことがないとずっとこの調子で嘆いているが「いいこと」に対して愚直になろうとしない自分自身の回避性のせいであることは自明だ。自分の中のリバタリアンが、対処療法としてお金をたくさん集めて誰の助けも求めず1人で生きていけるように頑張るのも自由だと誘惑する。放っておくとすぐ顔を出してくるこの悪魔は自分の卑屈さを肯定してくれる。こうして自己正当化の理由付けばかり上手になっていって、根本的な問題解決はちっとも進まないのであった。それならいっそ悪魔に身を委ねて、この世の限りの泥を啜って資本主義の豚としてお金を増やすことだけに貪欲になってみようか。突き抜ければどんなことでも実りはあるかもしれない。ここまでもちろん悪魔の誘惑であるが、やることそのものは勤勉に働いて日々節制し長期株式投資に励むことだから、傍から見れば堅実な処世術と同じだ。20年前の自分から見た自分は夢を諦めたクソつまらない大人に見えるかもしれないけど、仮にタイムマシーンがあったとして過去の自分に今の自分をどうやって説明しようか?考えても無駄かもしれない。これが愚直になるということなのかもしれない。顧客が本当に欲しいものは、回りに回って全部ぐちゃぐちゃになって溶けてしまった。