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さらに新しい日記

さらに新しく作られた日記

貯金における目標、その意味

これは、俺の貯金・資産形成・節約術 Advent Calendar 2016 - Adventar の12/2分の記事です。


「金を貯めて、正気を保つ」のは目標ではなく、苦しいときの金の使いみちのうちの一つだと捉えている。
確かに金には数えるという使いみちもあるのだけど、それだけだと金の汎用性を活かしきれていない。
そこで金を貯めたあとに物やサービスと交換する目標を立てると、具体的な貯金額やロードマップが見えやすい。

ただし、いきなり1億円貯めるとかタワーマンションを建てるという高すぎる物を目標にしてしまうと、現実味が沸かず、モチベーションに繋がりにくい。貯金を初めてやるならなおさら、最初の目標は、短期間で少額のものがいい。例えば、1年間で、手取りの2ヶ月分する憧れのブランドものを買うだとか。


貯金といえば、老後に向けてだとか、将来設計的なことを案じられることが多いが、私は今のところあまりそういった目標は持っていない。1年程度の短期で達成できる額を貯めて、その範囲内で買える物やサービスを目標としている。ただし、余ったり、気分が変わったり、いざとなれば将来設計的なものに転換することも出来るな、ぐらいの感覚はある。 老後の将来設計的を目標にするには、今のところ期間が長すぎることと、老後の生活にかかる総額を考えると大分多くあってもギリギリに感じられることから、自分の資産を数えることで正気を保つという駆け込み寺としての効果が薄れる、といった情緒的な理由が阻害していると思う。

あと、老後のための資産形成を目標にするなら、貯金というより年金保険や、確定拠出年金などの制度を利用した方がいいと思う。私がやっているのは生活様式の実現手法としての貯金というべきなのかもしれない。(生活様式、あるいはライフスタイルという感じの意ですが、ライフスタイルという単語が個人的にあまり好きじゃないので生活様式と書きました。各自お好きな方を取ってください。)


ちなみに、私の去年の目標は二重瞼切開法を受ける+その額の倍額貯めることでした。目標物を買っても余った額は、来年に繰り越して、来年の貯金と合わせての目標を立ててもよし、または保留にして、来年は新しい目標を立てるでもよし、だと思っています。そして次の目標は歯列矯正

金を貯めるとは

これは、俺の貯金・資産形成・節約術 Advent Calendar 2016 - Adventar の12/1分の記事です。


価値というものがある。 人によって価値を見出されているものが世に多くあるという。 お金とは、私の知っている限り一番汎用性の高い価値を持っているものだ。 だらだらと会話しているときなんかに一度は「お金が欲しい」なんてつい言ってしまう。

貯金とは、お金は価値が高いから大事にとっておきましょうね。という話ではない。 汎用性を持つ価値をどのようにして活用していくか、その手段の1つである。


苦しいときがある。 理由は様々だけど、自分ではどうにもならないことだったり、己の至らなさや、失敗することもある。 淡々と、朝起きて、仕事行って帰って、寝て、を繰り返しているときは気にも留めないことが引っかかってしょうがないときがある。 そんなときに、生きていることが気になる。自分の存在が気になる。 気にしていたって、自分を包丁で刺して終わらせるなんてことはしないし、なぜなのかを考えても、ただ親がセックスしたから生まれてきて、そのまま生き続けてきただけにすぎない自分に、どうしようもなく嫌悪を抱くときがある。 呆然として、何もかもがわからなくて苦しくなったときに、たしかにある価値を確かめるのに、お金は役に立つ。 資産価値の上下についての話は抜きにして、私の持っている総資産が例えば1億円だったとしたら、私の総資産は誰からしても1億円だ。正気を保てる。 お金についてはその汎用性が高さが価値の公平性に担保していると言えるため、やはり私の知る限りで最も汎用性の高い価値を持つお金は、かなり多くの人に公平な1億円の価値をもたらすことができる。

収入と支出とは、蛇口と、穴の空いたバケツだ。 得たお金を全て使わずに、ある程度手元に残しておくには、バケツの穴を出来る限り塞いで小さくしなければならない。 そのようにして、バケツの中にある程度の水が溜まっていれば、お茶を淹れた上でさらにラーメンも作れるかもしれない。 ラーメンを作るのはあまりいい例えではないかもしれないが、少なくとも、汎用性の高いお金は多くあればあるほど、その汎用性に磨きを増す。 お金をなるべく多く持つためには、蛇口から出す水の量を増やすか、穴を塞ぐかだ。両方を同時にできれば効率がいいが、いくら水がたくさん出る蛇口があっても、底なしのバケツに入れていたら、水は貯まらない。お金を貯めることは、支出という穴を出来る限り塞ぐことだ。

バケツをメンテナンスし、定量的な価値をもつものを維持あるいは増量させることは、同時に私の自己肯定感を醸成する。 気が狂いそうになったら、金を貯めて、正気を保て。

死にたいとは

「死にたい」*1というのはひ弱な現代っ子にとっての超ベンリワードで。なので何かちょっとでもいやなことがあればその度死にたいと言いがち。「おなかへったー」とか「はー」とかそんなノリで言う。文脈で察して頂けることも少なくはないんだけど、このワードを言うと心配してくださったり別に大したことなら命を軽視するような発言をするな!とか言って怒られることもまあ少なくない。その度に私は「死にてぇ〜」ってなる。(用法の具体例です)

もっと掘り下げて何がどんなときに「死にたい」のかというと

  • 明日は月曜日か…。急いでやらないといけない仕事あるんだけど心配だな…はー月曜日なんて来ないでくれ〜
  • 転職したけどこのままの技術力じゃ全然ついていけないかも…まだ若いとはいえこの先年取ってまともにキャリアアップできるんだろうか…
  • あ、やばい、人との距離感ミスった発言したかも。変な印象与えてないかな…私ってダメだな〜
  • この間のライブ全然できなかったな〜、動画撮ってもらったけどマジこいつ下手くそすぎるし動きがキモイな、もう何やってんだよ、日々練習しとけよ…
  • ツイッターで面白いこと言ったつもりなのに 0 fav だ…どうせ私が思いつくことなんてみんなにとっては全くおもしろくないんだ…
  • instagram で自撮り載せたのに 0fav だ…整形してようがなんだろうが私のことなんて誰も見てないんだろうな…
  • ブログ書いたけど 0PV だ…私の文章なんて誰も興味ないよね…
  • 恥ずかしいこと書いたブログにばっかり感想を言われる…冷やかされてるんだろうか…居心地が良くない…
  • みんな音楽とか映画とかちゃんと見てて教養あるな〜…大してなぜ私は何も知らないんだろう…恥ずかしいな…

みたいなときに、全てのディテールを省略して、気持ちだけを表現すると「死にたい」のです。そう、「死にたい」は気持ち。

先ほどの死にたい気持ちが起こる例を分類してみますと、

  • 明日は月曜日か…。急いでやらないといけない仕事あるんだけど心配だな…はー月曜日なんて来ないでくれ〜(不安)
  • 転職したけどこのままの技術力じゃ全然ついていけないかも…まだ若いとはいえこの先年取ってまともにキャリアアップできるんだろうか…(不安)
  • あ、やばい、人との距離感ミスった発言したかも。変な印象与えてないかな…私ってダメだな〜(自己嫌悪)
  • この間のライブ全然だめだったな〜、動画撮ってもらったけどマジこいつ下手くそすぎるし動きがキモイな、もう何やってんだよ、日々練習しとけよ…(自己嫌悪)
  • ツイッターで面白いこと言ったつもりなのに 0 fav だ…どうせ私が思いつくことなんてみんなにとっては全くおもしろくないんだ…(自己否定)
  • instagram で自撮り載せたのに 0fav だ…整形してようがなんだろうが私のことなんて誰も見てないんだろうな…(自己否定)
  • ブログ書いたけど 0PV だ…私の文章なんて誰も興味ないよね…(自己否定)
  • 恥ずかしいこと書いたブログにばっかり感想を言われる…冷やかされてるんだろうか…居心地が良くない…(羞恥)
  • みんな音楽とか映画とかちゃんと見てて教養あるな〜…大してなぜ私は何も知らないんだろう…恥ずかしいな…(羞恥)

のように、私の場合、 「不安」「自己嫌悪」「自己否定」「羞恥」 の4つが主のようです。

というわけで、私が「死にたい」気持ちを呈していたらそのうちのどれかを引き起こす出来事があったんだろうなと察して頂けますとコミュニケーションがスムーズになるかと思います。そしてこんな自己説明をブログに書いていることは大変恥ずかしみがありますので、これを書きながら死にたくなりました。死ぬ死ぬ死ぬ〜〜〜ッ!!!!!!ホワーッ!!!!!

*1:「生きていても良いことがない」も類似です

美容ブロガー

高須クリニックの門は叩けてもデパートのコスメカウンターには行けない。

広範囲で使われるフレーズを使って言い換えると、「服を買いに行くための服がない」のと同じ感覚で、美容部員さんに見せる顔がないから、先に高須クリニックに行かないといけなかったのだ。100点を取ってからじゃないと何も世に出すことが出来ないと思い込んでいるのでこのような順番になった。というか未だにコスメカウンターには行けていない。まだ敷居が高い。

そもそもブログや SNS で顔が出ているのに何を今更というところだが、コスメカウンターはそんなこと放り投げてダントツで怖い場所だ。眩しい照明の中を歩き回るだけでも体力を消耗するのに、勇気を出してちょっと商品を見るそぶりをしてみても美容部員さんは私のことに一切気付く様子がない。香水のサンプル紙も差し出されない。日傘を広げていてもお客さん畳みますよと声をかけられない。私はデパートに入ると透明人間になるらしい。


デパートのコスメカウンターに行くことはまるで片想いの相手にアプローチするかのようで、さりげなくを装って、こなれた振りをして、あなたのこといいと思ってるわよ、フフフ、という感じで振る舞わなきゃいけない気がするし、挙動不審にオタク構文を早口で捲し立てる普段の私を出すことは決して許されない。そう、決して。そんなことしてしまったら、嫌われてしまうのだ。誰に?というところだが、接するのは美容部員さんではあるのだけど、実際にはそれが本質ではなく、何かそう、見えないけど見られている世間のような概念に嫌われてしまうことの象徴な気がする。そして私は今日も上手に振る舞うことが出来ない。中学生の少年みたいに。家に帰って、あのときああしていれば、とか、あのときの自分は気持ち悪かっただろうな、なんて思って「ワーッ!」となる。

私はまだまだ見窄らしい。振る舞いに自信が持てず恥ずかしいということは恐らく自分が惨めで見窄らしいという意識を持っているからなのだろう。このヴェールのような、恥やら何やらを生み出すこの意識を早く捨て去って、素敵に振る舞えるレディーになりたい。でも、なれない。恥ずかしい。見窄らしい。憧れのポケモンマスターになりたいな、ならなくちゃ、絶対なってやるー!という直向きさは私にはない。行ったり来たり、している。


つまりだな、私は自分の惨めさや見窄らしさと戦おうとして、高須クリニックに行ったり、アナスタシアに行ったり、脱毛に行ったりしているが、間に自己嫌悪を挟んでもうこんなことやめちまえと揺れ動いたりしている。

次のステージはたぶんコスメカウンターかマツエクのどちらかだ。たのもう、たのもう。順番おかしい気がするのは私もわかってるけどもう戻れないからね。というか、コスメカウンターに行ったことないけど行きたいな、でもやっぱ緊張するし恥ずかしいな、というだけでこんな熱量高い文書く人間のこと接客したくないな、私が美容部員だったとしたら。


Amazon かドラッグストアでしか化粧品を買えない人間の書いた美容ブログ、こんな感じでどうっすか?

毛の進捗

6月末に髪を20cm切って灰色に染めたんですが

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10日後にはほぼ金髪状態になり

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(話逸れるが BeautyPlus の写真とそうでない写真で顔の輪郭が違いすぎて技術力すごいな)

試行錯誤して濃いめの紫を入れたら青髪になったり

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染めた当初かなり良い感じの色になってたんですけどこんなに退色が早くメンテナンスがつらいとは思ってなかったので頭を抱えています。あと切る前尾てい骨に届くくらい長かった毛がヘソの裏あたりにまで短くなったので大変な喪失感があります(自分で切ってくれと言ったのですが)

ここ3〜4年全体を染めることなく黒髪ロングを保ってたので周りからの反応が5倍(当社比)です。

私と言えば灰野敬二みたいなところあるからなぜ染めたのかと思われる方もいるかもしれませんが、Marc Jacobs灰野敬二もはやほぼ白髪なので今後それに近付けていきたい思いが強いです。(単純に気分転換というのもありますが)

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なのに退色は早いし色入れるのも失敗しがちというジレンマ…美容師さんはすごいね。

長い髪の質感保つのは結構得意なんですがカラー状態のキープはあまり経験がなかった(※ブリーチや奇抜な色はやったことあるが短期間のため)ので、試行錯誤している日々です。なんならちょっと黒髪に戻したい気持ちはある


毛色のキープといえば Fernanda Ly ですが

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Fernanda は毛色をキープするためにシャンプーは3日に1回、ただしトリートメントは毎日というストイックな行動をしているそうですがカラー自体は Manic Panic によるセルフカラーらしいです。

オーストラリアはどうだか存じ上げませんが日本の夏でシャンプーを3日に1回にするのはちょっと現実的ではない。

ここ1ヶ月半ほどで試行錯誤しまくったのでちょっと書きます。(アフィリンク盛りめです)

シャンプー

施術後、美容師さんに「退色しやすいのでシルバーシャンプーなどの使用をおすすめします」と言われ、地元のドン・キホーテでロイドのシルバーシャンプーを購入。

ロイド カラーシャンプー シルバー300ml

ロイド カラーシャンプー シルバー300ml

1400円くらいで安い。使い方は普通に泡立ててシャンプーしたのち、すぐに洗い流さず3分〜5分ほど泡を放置する。液がゆるいのにポンプが暴発しがちなのでちゃんと手で包み込むようにして受け止めないと飛び散るときがある。

ラウレス-6カルボン酸Na がトップ成分なのでラウレス硫酸よりはマイルドだけどこういうの使えるのは夏場だけだな。泡放置するということを考えるとあまり毎日使いたくはない。香りはフルーティできらいじゃないよ。

肝心の色落ちに対する効果があるのかですが、やらないよりは退色が遅いだろうという感じ。手袋なしで使えて手軽なのは良い。

泡放置するという行為に不安があるので今はこのシャンプーは2日〜3日に1度にして、他の日は Fプロテクトのリッチに変えた。

フィヨーレ Fプロテクト ヘアシャンプー リッチ 300ml

フィヨーレ Fプロテクト ヘアシャンプー リッチ 300ml

これは特にカラーケアとかそういう感じではないがアラニン系成分がトップにくるので、上記のシルバーシャンプーと組み合わせるのには十分マイルドかと思い。

ただちょっとマイルドすぎるのか頭かゆくなるときある。シルバーシャンプー使い終わったらこれのベーシックを試してみるか、ザクロ精炭酸 a.k.a ベスト夏場シャンプー にするか迷っている。

フィヨーレ Fプロテクト ヘアシャンプー ベーシック 300ml

フィヨーレ Fプロテクト ヘアシャンプー ベーシック 300ml

ザクロ精炭酸シャンプー 150ml

ザクロ精炭酸シャンプー 150ml

トリートメント

最初はずっと使ってるシュワルツコフのフォルムコントロールでいいかと思ってこのままにしてたんですが

BCクア フォルムコントロール トリートメント 250g

BCクア フォルムコントロール トリートメント 250g

シルバーシャンプーとの相性が良くないのか単純にブリーチによるダメージかわからないですがなんか微妙な思いをしていたので Fプロテクトのリッチをシャンプーと合わせて購入。

フィヨーレ Fプロテクト ヘアマスク リッチ 200g

フィヨーレ Fプロテクト ヘアマスク リッチ 200g

シャンプー共に言えることなんだけどポンプがマジで少量しか出ないので何度もプッシュするはめになる。そして液がめっちゃ緩いので大量消費しがち。安いけどこの調子だとそこまでコスパ良くない説ある。

使用後はツルツルスベスベになるのでそこは気に入っていますが、これ以外のも試したい。先日ほしいものリストからナプラのβ頂いたので次これ試す予定。thanks uasi!

セルフカラー

最初は安かったのでエンシェールズのカラーバターを購入。925シルバーにちょっとショッキングパープルを混ぜて使ったら黃ばみ対策にいい感じになるかな?と予想し2色購入。(※ご存知ない方もいらっしゃるかもしれないので解説すると、髪の黄ばみを飛ばすには黄色の補色である紫色を入れるのが鉄板なんですね。ex紫シャンプー)

エンシェールズ カラーバター 925シルバー 200g

エンシェールズ カラーバター 925シルバー 200g

しかし実際、925シルバー:ショッキングパープル=6:1くらいで使用(放置時間20分)すると925シルバーよりショッキングパープルの方が発色が強く、赤みが強く出て赤キャベツみたいな髪色になった。なのでショッキングパープルは速攻メルカリで売った。

しばらく925シルバーだけをトリートメントに混ぜて(トリートメント:925シルバー=2:3、放置時間10〜15分)使っていたんですが発色が弱く、ほとんどグレーの色味が付かないことがわかったので、今度はもう少し発色が良く紫味が強いものを、ということで Manic Panic のエレクトリックアメジストを購入。

シャンプー後にトリートメント:エレクトリックアメジスト=1:1 を放置時間10分で使ったり、エレクトリックアメジスト単体を放置時間40分くらいで使ったりしたんですけど元の毛色がブリーチ一回であまり明るくない(12トーンくらい)ので力及ばず。925シルバーよりは黄色み抑えられるけど結局退色のスピードに追いつかない。

もっと発色が良い物を…!ということで今度は Manic Panic のライラックを購入。

マニックパニック カラークリーム ライラック

マニックパニック カラークリーム ライラック

トリートメント:ライラックを1:8、放置時間1時間半で使用したら上述の青髪。そしてシルバーシャンプー、通常のシャンプー交互にして2日後には青みが抜けいい感じのグレーに!

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写真は今さっきの撮りましたので一番良かった頃よりは色落ちしてるけど、大体グレーという様子です(雨に濡れたのであまり見栄えが良くない)

というわけで、ライラックで発色は間違いない。たぶん放置時間やトリートメントの配合を工夫すれば最も理想に近いグレーを保てる(少なくとも私の髪質や現状のアンダーカラーの状態では)

まとめ

  • グレーとかアッシュ系はマジで色落ち早い
  • シルバーシャンプーはないよりは良いけど、それよりは普通のシャンプーでもいいのでセルフカラーを定期的にやった方がいい気がする
  • ブリーチ1回とか2回程度で赤み、黄みが残っている髪を染める際は必ず発色の良いカラーリング剤を使い、さらにアンダーカラーの色味に合わせた捕色を選ばないと意図通りにはいかない
  • セルフカラーするときはちゃんと道具を揃えよう(特に発色の良い Manic Panic なんかはカラートリートメントだからと侮って適当に手で塗ってると普通にムラになります)
  • 全体的に金と時間がかかる
  • 失敗して髪が青とか赤紫になっても大丈夫な職場で良かった

こんなところですかね!!!!!正直金銭的にも手間的にもコストがかかるので心が折れそうですが、始めてしまったからにはやりきるしかないぞ…… 次の美容院でもう一度ブリーチしようと思うのでそのときにまた続報書きます。 というかその前に色じゃなくて質感のケアについてもまとめようかな。美容ブロガーだな俺は。これから美容ブロガーを名乗るぞ!

わかり

みなさんは日々わかりあいしてますか? f:id:tttttahiti:20160815174225p:plain

地球上には73億人ぐらいの人間が生息しており、皆それぞれ人種、国籍、宗教、年代、ジェンダー、育ち、趣味嗜好、などで違いを持っている。

多種多様な人間達は社会生活を営み、言語などのインタフェースを介しコミュニケーションを取るうちに、自分ではない誰かと偶然共通する部分を見つけることがある。

共通点によって人々は親近感を抱いたり、さらに円滑なコミュニケーションに繋がることが多いだろう。何も悪いことじゃない。むしろ歓迎されるべきことだ。

ただある程度の信頼が築けた関係性になると、相手のまだ知らないけど共通するであろう部分を想像で補完してコミュニケーションを取ろうとしたり、あるいは共通項を増やそうという行動に移ることがある。

「この人はこういう考えの人だからこの話題は避けよう」

「この人はこれが好きだからきっとこういうのも気に入るだろう」

もちろん自分の想像とは違う結果である場合もある。そのときはそういう情報を脳の DB に INSERT して今後のコミュニケーションに活かせばいいというだけなんですが残念ながら失敗するときがある。

「これの良さがわからないとはクソ」

「そんな考えをしているなんて信じられない」

みたいなエラーメッセージを出してくる。こういうエラーを出しがちな人間と比較的性能のいい脳の人もいるので個人差があるのですが。まあ前者は単純にコミュニケーションが下手くそな人であるというだけなんだが。


共通項を探して相手のことを探ったり、自分から提案していくプロセスはたぶん楽しい。はず。だけどときどき、わかりあいによる安心感を過信しすぎてわかりあえないときに悲しい気持ちになったり、孤独を感じたりする。自分の思っていることは果たして正しいのか?こんなことを考えているのは世界中で自分だけなのではないか?

結論、世界に正しい考えなど無いし、こんなことを考えているのは私だけじゃないけど自分の手の届く範囲で見つけてないだけ。


大事なのは世の中には色んな人がいて色んな考えをしていて、あなたの隣の人にも知らない一面はあるし、人間には様々な点において違いがあるということを認識することだ。容姿や人種などの目に見えやすい部分はもちろんだが、思想や嗜好、価値観のような部分にこそ特に多様性があると私は思っている。そして人間は変わることがある。単純に成長するし、何かに影響されて変わることがある。自然なことだ。私みたいに整形して顔が変わることもあるよ!


普遍的に価値があるというものが世の中にはあるらしい。例えば金銀ダイヤモンドなどだろうか。 金銀ダイヤモンドは産出量が少なく化学的に安定しているとか類を見ない硬質であるとかそういう物質的に優れた面があるので価値があるのでしょう。

一方人間の内面性に価値はあるのだろうか? 例えば犯罪を犯した人間の思想は無価値で、偉大なる功績を残した政治家の思想は大きな価値がある、みたいな。 こういう話は人権とか色々関わってくると思うので自分の考えだけを記しますけど人間の内面は皆尊いということでここは一つ。


誰が何を考えていようが何が好きであろうが何が嫌いであろうが、人が口を挟むことではないし、好きにさせたらいい。

そう自分に言い聞かせながら必死に感情を抑えて生きています。私はとてもコミュニケーションが下手くそです。

†‡†生温い邪気漂う地下深くで禍々しく奏でられる殺人鬼の鎮魂歌(レクイエム)†‡†

6月22日水曜日の昼下がり、誇り高きルシファーの末裔である私が薄暗く湿った空気を纏った新橋駅に颯爽と舞い降りる。私にとって新橋駅は定期圏内であり、その勢力を広げるには格好の餌食だったのだ。

生まれながらにして強大な闇の魔力を持つ者である私は、その高い技術を駆使し第三の眼で Google Map を霊視する。任務(ミッション)は地下に埋められし殺人鬼の魂を開放(リリース)すること。手中の電子機器の発する仄かな光に導かれ、銀座のと或る画廊へと飛び立った。

その画廊はじっとりとした梅雨の空気と調和した邪気を匂わせていた。どうやらここが標的(ターゲット)らしい。人間界で云う処の「サブカル」という言葉で表されるように彩られた画廊には、既に多くの迷える子羊達が引き寄せられていた。今宵の華麗なる晩餐会の会場としてはまずまずといった印象だ。

我が先祖ルシファーより受け継いだ神聖なる力(パワー)により生み出した1900円を支払い、その禍々しい邪気の元凶と伺われるステージへ。

ワンルームの小さなステージでは早速アーサー・ショークロスの猟奇的な絵画が待ち受けており、ここから出してくれと云う殺人鬼達の魂の主張が聴こえる。迷える子羊達はその魂の叫びに食い入るようにして齧り付いており、秒速1mm程度の進みに陥っていた。地下深くに隠された予想以上に強大な邪気に圧倒される。嘗ての荒くれ者として知られた私であればこの場ですぐに力(パワー)を開放し子羊達を薙ぎ払っていたかもしれない。だが、過去に償いを経た私は人間達の迷いの観察の意図も含めて列に並んでおとなしく鑑賞することにしたのである。

展示内容は目玉であるジョン・ウェイン・ゲイシーのピエロ画を含め、ダニー・ローリング、チャールズ・マンソン、ヘンリー・ルーカスなど名だたる殺人鬼達の絵画が並ぶ。物によっては絵画というには稚拙すぎるような落書きもあったり、毛髪や持ち物、直筆の手記なども含めてかなりの点数に至っていた。ルシファーの末裔大喜び。

これだけの点数が集まると興味深いのが作品の中に囚人同士のつながりが見られることで、ジョン・ウェイン・ゲイシーチャールズ・マンソン肖像画を描いていたり、ジェラルド・シェイファーのドローイングにオーティス・トゥールのサインがあったりする。

それぞれの作者像については解説が付属しているが、平日の昼間に伺っても迷える子羊たちで満員の会場(おまけに短い会期のため、土日はすごい混雑しそう)、そして魂の叫び(解説)もあまり多くを語っているわけではないことを考慮すると、事前にある程度こういった事件や殺人鬼の情報を頭に入れて来た方が楽しめることは確かだ。

みんな大好きなジェフリー・ダーマーの手形もあったし、個人的にはエド・ゲインの墓砂やファンクラブの缶バッジ(猟奇的殺人鬼が度々カリスマ扱いされまくるの、現実というよりホラー映画感覚だよなと思う)など本人のものではなくもはや二次創作レベルのものまであることや、ヴァンパイア全然関係ないロッド・フェレルのネイティブアメリカンの絵が印象的だった。キース・ジャスパーソンの色鉛筆による分厚いタッチの絵も良かった。


ところで、皆さんは作品の評価の基準に作者の人格を含めますか?

例えば数年前の出来事ですが、 Crystal Castles の公演で前座の Bo Ningen の出演が Crystal Castles の都合でキャンセルされたとき、大きな反響を呼びました。

評価の基準というものは一言で言えるものではありませんが、作品の生まれた経緯として作者の経験や人格などが包括されることは可能性として十分にあり、もしかしたら異常な部分を持つ作者の作品を評価することはその作者の異常性までを評価してしまうことに繋がるのではないか、という意見があるのは想像に容易いでしょう。

私自身は作品と作者の人格はなるべく切り離し、純粋に作品自体の印象や技術を評価したいと思っていますが、シリアルキラーによる絵画たちは作者の行った殺人行為やそれらに至る人格形成を評価のうちに含めざるを得なかったと思います。

例えば、ジョン・ウェイン・ゲイシーの稚拙な油彩は、ただそれだけ見せられても心に響くかどうかというと疑問です。しかし、彼が表ではピエロの変装をしたり社会的貢献活動に参加するといった社交的な人間を装っていたにも関わらず、裏では若い男性ばかりを殺して自宅の床に埋め平然と暮らしていた、という事実を知ることで稚拙な油彩に只ならぬ不気味さを感じてしまうのです。雑な7人の小人っぽい何かが橋を渡っているだけの絵なのに。このことに対して私は、不謹慎ではありますが「ずるい」とすら思ってしまいます。だからといって人間を殺す殺す言いまくってる私でも猟奇的殺人を犯して絵を売ろうなんてことはしませんが。ジョン・ウェイン・ゲイシーは獄中でもせっせと絵を通販していたそうですから、流石シリアルキラーとしか言いようがありません。呆れを通り越して関心ものです。

今回のシリアルキラー展では、明らかに作者に異常性があることをわかっていながらも鑑賞に訪れる人が後を絶ちません。来場者の皆様がどのような意図で展示に訪れ、どのような感想を持ったのかは私にはわかりませんが、作品の評価だとか、人間の評価だとかといったものは人それぞれ違った基準があるわけですし、私がシリアルキラーの絵を見てずるいと思おうが、誰かが悪趣味だと思おうが、言ってしまえば関係ないし、好きにすればいいのです。絶対の評価なんて誰も下せないし、人々と評価を受け入れ合う必要もないし、それで苦労をしていたりすると人生を無駄にする。商魂逞しいシリアルキラーの絵を見て、世の中を責めたり捻くれたり喚いたりしがちな自分に自戒を込めることになる(今年何度目だろう)。何度でも言うがこういう行為は人生を無駄にする。自分によくわからないものが売れてようがなんだろうが、自分がやるべきことは自分が良いと思うことを淡々とやることだし、どうせ人生を無駄にするなら好きなようにやって無駄にしたい。だって私、誇り高きルシファーの末裔だし…