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さらに新しい日記

さらに新しく作られた日記

†‡†生温い邪気漂う地下深くで禍々しく奏でられる殺人鬼の鎮魂歌(レクイエム)†‡†

6月22日水曜日の昼下がり、誇り高きルシファーの末裔である私が薄暗く湿った空気を纏った新橋駅に颯爽と舞い降りる。私にとって新橋駅は定期圏内であり、その勢力を広げるには格好の餌食だったのだ。

生まれながらにして強大な闇の魔力を持つ者である私は、その高い技術を駆使し第三の眼で Google Map を霊視する。任務(ミッション)は地下に埋められし殺人鬼の魂を開放(リリース)すること。手中の電子機器の発する仄かな光に導かれ、銀座のと或る画廊へと飛び立った。

その画廊はじっとりとした梅雨の空気と調和した邪気を匂わせていた。どうやらここが標的(ターゲット)らしい。人間界で云う処の「サブカル」という言葉で表されるように彩られた画廊には、既に多くの迷える子羊達が引き寄せられていた。今宵の華麗なる晩餐会の会場としてはまずまずといった印象だ。

我が先祖ルシファーより受け継いだ神聖なる力(パワー)により生み出した1900円を支払い、その禍々しい邪気の元凶と伺われるステージへ。

ワンルームの小さなステージでは早速アーサー・ショークロスの猟奇的な絵画が待ち受けており、ここから出してくれと云う殺人鬼達の魂の主張が聴こえる。迷える子羊達はその魂の叫びに食い入るようにして齧り付いており、秒速1mm程度の進みに陥っていた。地下深くに隠された予想以上に強大な邪気に圧倒される。嘗ての荒くれ者として知られた私であればこの場ですぐに力(パワー)を開放し子羊達を薙ぎ払っていたかもしれない。だが、過去に償いを経た私は人間達の迷いの観察の意図も含めて列に並んでおとなしく鑑賞することにしたのである。

展示内容は目玉であるジョン・ウェイン・ゲイシーのピエロ画を含め、ダニー・ローリング、チャールズ・マンソン、ヘンリー・ルーカスなど名だたる殺人鬼達の絵画が並ぶ。物によっては絵画というには稚拙すぎるような落書きもあったり、毛髪や持ち物、直筆の手記なども含めてかなりの点数に至っていた。ルシファーの末裔大喜び。

これだけの点数が集まると興味深いのが作品の中に囚人同士のつながりが見られることで、ジョン・ウェイン・ゲイシーチャールズ・マンソン肖像画を描いていたり、ジェラルド・シェイファーのドローイングにオーティス・トゥールのサインがあったりする。

それぞれの作者像については解説が付属しているが、平日の昼間に伺っても迷える子羊たちで満員の会場(おまけに短い会期のため、土日はすごい混雑しそう)、そして魂の叫び(解説)もあまり多くを語っているわけではないことを考慮すると、事前にある程度こういった事件や殺人鬼の情報を頭に入れて来た方が楽しめることは確かだ。

みんな大好きなジェフリー・ダーマーの手形もあったし、個人的にはエド・ゲインの墓砂やファンクラブの缶バッジ(猟奇的殺人鬼が度々カリスマ扱いされまくるの、現実というよりホラー映画感覚だよなと思う)など本人のものではなくもはや二次創作レベルのものまであることや、ヴァンパイア全然関係ないロッド・フェレルのネイティブアメリカンの絵が印象的だった。キース・ジャスパーソンの色鉛筆による分厚いタッチの絵も良かった。


ところで、皆さんは作品の評価の基準に作者の人格を含めますか?

例えば数年前の出来事ですが、 Crystal Castles の公演で前座の Bo Ningen の出演が Crystal Castles の都合でキャンセルされたとき、大きな反響を呼びました。

評価の基準というものは一言で言えるものではありませんが、作品の生まれた経緯として作者の経験や人格などが包括されることは可能性として十分にあり、もしかしたら異常な部分を持つ作者の作品を評価することはその作者の異常性までを評価してしまうことに繋がるのではないか、という意見があるのは想像に容易いでしょう。

私自身は作品と作者の人格はなるべく切り離し、純粋に作品自体の印象や技術を評価したいと思っていますが、シリアルキラーによる絵画たちは作者の行った殺人行為やそれらに至る人格形成を評価のうちに含めざるを得なかったと思います。

例えば、ジョン・ウェイン・ゲイシーの稚拙な油彩は、ただそれだけ見せられても心に響くかどうかというと疑問です。しかし、彼が表ではピエロの変装をしたり社会的貢献活動に参加するといった社交的な人間を装っていたにも関わらず、裏では若い男性ばかりを殺して自宅の床に埋め平然と暮らしていた、という事実を知ることで稚拙な油彩に只ならぬ不気味さを感じてしまうのです。雑な7人の小人っぽい何かが橋を渡っているだけの絵なのに。このことに対して私は、不謹慎ではありますが「ずるい」とすら思ってしまいます。だからといって人間を殺す殺す言いまくってる私でも猟奇的殺人を犯して絵を売ろうなんてことはしませんが。ジョン・ウェイン・ゲイシーは獄中でもせっせと絵を通販していたそうですから、流石シリアルキラーとしか言いようがありません。呆れを通り越して関心ものです。

今回のシリアルキラー展では、明らかに作者に異常性があることをわかっていながらも鑑賞に訪れる人が後を絶ちません。来場者の皆様がどのような意図で展示に訪れ、どのような感想を持ったのかは私にはわかりませんが、作品の評価だとか、人間の評価だとかといったものは人それぞれ違った基準があるわけですし、私がシリアルキラーの絵を見てずるいと思おうが、誰かが悪趣味だと思おうが、言ってしまえば関係ないし、好きにすればいいのです。絶対の評価なんて誰も下せないし、人々と評価を受け入れ合う必要もないし、それで苦労をしていたりすると人生を無駄にする。商魂逞しいシリアルキラーの絵を見て、世の中を責めたり捻くれたり喚いたりしがちな自分に自戒を込めることになる(今年何度目だろう)。何度でも言うがこういう行為は人生を無駄にする。自分によくわからないものが売れてようがなんだろうが、自分がやるべきことは自分が良いと思うことを淡々とやることだし、どうせ人生を無駄にするなら好きなようにやって無駄にしたい。だって私、誇り高きルシファーの末裔だし…