さらに新しい日記

さらに新しく作られた日記

楽しくなくても考えることをやめないで生きていきたい人の主張

子を持つ女性が「誰々のママ」と呼ばれていたりするのを耳にすることがあるが、近年の私はずっとそういう感じだったなと思う。その人自体を認識されているというより、言い方が悪いけど誰かしらの付属だったり、組織の一部だったりとして認識されている。というのも2016年には実際にそのように捉えられていたことをうっかり知ってしまったのだ。そうしてその疑惑は確信に変わり、ずしんと頭に響いた。ただそう認識されるのも仕方がない。自己紹介するときも所属や人との関係性から入るような惰性を覚えてからは、自己を磨き、またアピールすることを怠り、結局またループしていた。ツケだ。自分を印象付けるために人や組織、肩書に頼ってしまう楽さを選んでいたのだ。これでは自分は全く何も成し遂げていないのに「俺の友達すごいんだぜ」とか自慢するような人と大差がない。

では私に何もないのかというと、そうそう認めるわけにもいかない。万人に有益とはいえないけれど、私には考えがあるし、それを表す言葉も持っている。五感もある。そしてこれからもっと増える予定。
人によっては、「若い女」「院卒」「TOEIC810点」とかそういうのの方が刺さるのかもしれないけど、私とっての自己とは思考とその表現なのです。今まで誰々の友達だとか、どこどこに所属している人、と捉えられてしまうことで見ることがなかった、私の思考そのものを見せてあげようじゃありませんか。このブログだってそう。他にもやりすぎるくらいいっぱいやってやろうじゃないか。そんな気分です。2017年、発言は所属する組織・団体とは一切関係がなく、あくまで個人のものですってやつを良い意味で昇華してやるぞ!